信仰の6本の柱

信仰の6本の柱

アッラーﷻを信じること


アッラーUを信じることの意味:

それはアッラーの存在を完全に信じ、その主としての特質と、かれﷻのみが崇拝されるに値するという特質、及びその美名と属性を確認することです。

これらの4つのことについて、以下のように詳しくご説明しましょう:




 

アッラーが定められた天性:


アッラーの存在を認めることは、人間にとって先天的なものです。それはわざわざ証明する必要もありません。ゆえに多くの人々は、異なる宗教と宗派にありながらも、アッラーの存在を認めているのです。

私たちは心の奥底から、アッラーが存在すると感じています。また厳しい状況や災難の時には、アッラーが全人の心に据え付けられた信仰者としての天性と、宗教に従うという本能によって、かれﷻに縋りつきます。ある種の人々がそれを揉み消し、無視しようとしても、それは変わりません。

また私たちは、祈る者たちが叶えられ、乞う者たちが与えられ、祈るしかなくなった者たちが応えられるのを聞き、目の当たりにします。これはアッラーの存在に対する、一つの明確な証拠です。


アッラーが存在することの根拠は、わざわざ言及するまでもなく明白です:


  • 何かが発生するには、それを発生させる原因となる存在が必要だということは、誰もが心得ていることです。そして私たちがいつも目にしているこれら多くの被造物にも、それらを存在させた創造者がいなければなりません。その創造者がアッラーﷻなのです。被造物はそれを創る創造者なしに創られることはなく、同様に自らを創ることも不可能です。存在が自らを創ることはないからです。アッラーはこう仰せられました。『いや、彼らは無から創造されたというのか? それとも彼らが創造者なのか?』(クルアーン52:35)つまり、彼らは創造者なしに創られたのではなく、彼らを創ったのは自分自身でもない、ということです。こうして彼らの創造者がアッラーである、ということが確定するのです。
  • この世界の秩序は、天・地・星々・木々と共に、この世界には唯一の創造者が存在していることを明確に示しています。そしてそれが、アッラーﷻなのです。『全てのものを完全に仕上げられた、アッラーの創造。』(クルアーン27:88)

例えばこれらの星々・惑星は、異常のない着実な規則に従って動きます。そして全ての惑星は、ずれることも外れることもなく、その行路を歩むのです。

アッラーは仰せられます。『太陽が月を捕らえることもなければ、夜が昼に先駆けることもない。そして全ては行路を行くのだ。』(クルアーン36:40)


اアッラーから授けられた理性という恩恵、感覚の細やかさ、身体構造の整然さと完全さを熟慮・沈思・熟視する者にとっては、人間そのものがアッラーの存在を示す偉大な証拠の一つです。アッラーはこう仰せられました。『また地上には、確信する者たちへの御徴がある。そしてあなた方自身の中にも。一体それであなた方は、熟視しないのか?』(クルアーン51:20-21) .



 

それは、以下のように認め、完全に信じることです:アッラーが全ての主、所有者、創造主、糧を授けられるお方であること。かれこそは生死を司られ、益し、害されるお方であること。全ての物事はかれに属し、全ての善はかれの御手に委ねられていること。かれには全てのことがお出来であり、そこにおいていかなる共同者もないということ。


つまりそれは、アッラーをその御業において、唯一化するということで、以下のように信じることです:


アッラーは世界にある全てのものの唯一の創造主であり、かれの外にはいかなる創造者もいないということ。アッラーはこう仰せられます。『アッラーは全てのものの創造主。』(クルアーン39:62)

人間の作る物は、ある性質から別の性質への変化、あるいは組み立て・構成などに過ぎません。それは真の創造ではなく、無から存在を創り出すことでもなく、死後に生を与えることでもないのです。


また、アッラーが全ての被造物の創造主であり、かれ以外にいかなる創造者もないということ。アッラーはこう仰せられました。『地上におけるいかなる生き物でも、その糧をアッラーに依存していないものはない。』(クルアーン11:6)


また、アッラーが全ての所有者であり、かれ以外には真の意味での所有者は存在しないということ。アッラーはこう仰せられました。『アッラーにこそ、諸天と地の王権と、そこにある全てのものは属する。』(クルアーン5:120)


また、アッラーが全てを司られるお方であり、かれ以外にはいかなる運営者も存在しないこと。アッラーは仰せられました。『天から地に至るまで、物事を司られる。』(クルアーン32:5)

人間が自らの物事・人生・その計画に関して取り仕切ることは、彼の手許にある物事や彼が所有するもの、彼に可能な物事だけに限られています。その計画は成果を生むかもしれませんし、挫折するかもしれません。しかし創造主ﷻの計画と運営に抜かりはなく、完璧なのです。そして何ものもそこに立ちはだかり、反することなく、実行されます。アッラーは仰せられました。『見よ、かれにこそ創造とご命令は属する。全世界の主アッラーは、祝福に溢れたお方。』(クルアーン7:54)



『地上におけるいかなる生き物でも、その糧をアッラーに依存していないものはない。』(クルアーン11:6)


アッラーの使徒rの時代のアラブ人不信仰者たちは、アッラーの主としての特質を信じていました:


アッラーの使徒rの時代の不信仰者たちは、アッラーこそが創造主・所有者・全てを司るお方であることを、認めていました。しかしそのこと自体が、彼らをムスリムとすることはありませんでした。アッラーはこう仰せられます。『そしてあなたが彼らに“諸天と大地を創ったのは誰か?”と尋ねれば、彼らは必ずやこう言うのだ。“アッラーである。”』(クルアーン31:25)

というのも、アッラーが全世界の主・自分たちの創造主・所有者・その恩恵と共に自分たちを養って下さったお方であることを認めた者は、崇拝においてアッラーを唯一の対象としなければならないからです。そしていかなるものもその共同者とはせずに、かれだけに崇拝を向けなければなりません。

アッラーが全ての創造主・世界の管理者・生と死を司るお方であることを認めながら、ある種の崇拝をかれ以外の何かに向けるなどということが考えられるでしょうか? そのようなことは不正の内でも最もひどいものであり、罪の中でも最大のものです。こうした理由から、賢者ルクマーンはその息子に忠告・指導しつつ、こう言っています。『おぉ息子よ、アッラーにいかなるものも並べるのではない。実にシルクはこの上ない不正なのだから。』(クルアーン31:13)

また、アッラーの使徒rは「アッラーの御許で最大の罪は、何ですか?」と質問され、こう答えています。「アッラーに対し、‐かれがあなたを創ったにも関わらず‐同位者を設けることである。」(アル=ブハーリー4207、ムスリム86)

アッラーの主としての特質を信じることは、心を安らげます:


しもべが確実な知識でもって、以下のことを知るとしましょう:いかなる被造物も、アッラーの定めから逃れることは出来ないということ(というのもアッラーこそが彼らの所有者であり、その英知に適う形でお望みのままに彼らを操られるのであり、またかれこそが彼ら全員の創造者であり、アッラー以外の全ては貧しく、その創造主を必要とする被造物なのですから)。また物事は全て、かれの御手に委ねられているのであり、それゆえにかれ以外にはいかなる創造者も、糧を授けてくれる者も、世界を司る者もおらず、かれのお許しなくしては芥子粒一つ動くこともなく、かれのご命令なくしては粟粒一つ静止していることもない、ということ。これらのことを知れば、彼の心には以下のようなことがもたらされます:アッラーへの一途な愛情。かれへの願い。かれを必要に思う気持ち。人生のあらゆることにおける、かれへの依拠。人生の変転と対するにあたって、落ち着きと決意と辛抱強さをもって、前向きに努力すること(というのも人生の諸事において、願望を達成するための手段を駆使し、その願望が実現するようにアッラーに祈る限り、自分自身の義務は果たしたことになるからです。この時、人の心は他人の手にあるものへの欲求から静まります。)つまり物事は全て、アッラーの御手にかかっているのであり、かれこそがお望みのものをお創りになり、お選びになるのです。

アッラーの主としての特質を信じることは、心を安らげます。



 

アッラーのみが崇拝されるに値するという特質を信じることの意味:


それはアッラーだけが、あらゆる種類の外面的・内面的崇拝に値することを、完全に信じることです。ゆえに私たちは、祈り・恐怖・全てを委ねること・援助を乞うこと・サラー(礼拝)・ザカー(浄財)・サウム(斎戒)など、あらゆる種類の崇拝において、アッラーを唯一の対象とするのです。アッラー以外に、真の崇拝対象は存在しません。アッラーはこう仰せられました。『そしてあなた方の神は、かれ以外には崇拝すべきものがない唯一の神、慈悲深いお方、慈愛深いお方である。』(クルアーン2:163)

アッラーは、神は唯一である、つまり崇拝対象は唯一であり、ゆえにそれ以外のものを神としてはならず、それ以外のものを崇拝してはならない、とお伝えになったのです。

アッラーを唯一の対象とし、かれを崇拝することこそが、「ラー・イラーハ・イッラッラー」の本当の意味です

アッラーの主としての特質を信じることの重要性:


アッラーの主としての特質を信じることの重要性は、多くの側面に表れています:

1

それが、ジン(精霊)と人間の創造の目的であるということ。彼らは、いかなる共同者もないアッラーのみを崇拝するために創られたのです。アッラーはこう仰せられました。『そしてわれがジンと人間を創ったのは、ただわれを崇拝させるためだったのだ。』(クルアーン51:56

2

それこそが、使徒たちが遣わされ、数々の啓典が下った理由であったこと。そしてその狙いは、アッラーこそが真に崇拝されるべき対象であるということの確証と、アッラー以外に崇拝されているものの否定だったのです。アッラーはこう仰せられました。『またわれらは、全ての民に使徒を遣わした。(彼らは民にこう命じたのだ。)“アッラーを崇拝し、ターグート(アッラー以外に崇拝されるもの)を避けよ。”』

3

それが、人間にとっての最初の義務であること。預言者rは教友ムアーズ・ブン・ジャバルをイエメンに派遣した時、彼に対する忠告として、こう言いました。「まさにあなたは、啓典の民の一つを訪れようとしている。ゆえに最初に彼らを招くものを、“ラー・イラーハ・イッラッラー”の証言とせよ。」(アル=ブハーリー1389、ムスリム19)

つまり、「あらゆる種類の崇拝において、アッラーを唯一の対象とすることへと、彼らを招くのだ」ということです。

4

アッラーの主としての特質を信じることこそが、「ラー・イラーハ・イッラッラー」の本当の意味です。「イラーハ」は「崇拝されるもの」の意味であり、つまり「アッラーの外に、真に崇拝されるべきものはない」のです。私たちはいかなる種類の崇拝も、かれ以外のものに向けたりはしません。

5

アッラーの主としての特質を信じることは、アッラーが創造主・所有者・全てを司られるお方であることを信じることの、論理的帰結です。



 

アッラーが、その書(クルアーン)と、その使徒rのスンナの中で、ご自身に確定された美名と属性を、かれにふさわしい形で信じること。

アッラーは最良のお名前と、完全な属性を備えられたお方です。かれの美名と属性において、似た存在はありません。アッラーは仰せられました。『かれに似たものなど、何一つない。そしてかれは、よく聞かれるお方、よくご覧になるお方である。』(クルアーン42:11)ゆえにアッラーは、その全ての名美と属性において、何らかの造被物がかれに似るなどということから無縁なお方なのです。


アッラーの美名の一例:


アッラーは仰せられました。『慈悲深く、慈愛深いお方。』(クルアーン1:3)

また、アッラーは仰せられました。『そしてかれは、よく聞かれるお方、よくご覧になるお方である。』(クルアーン42:11)

また、アッラーは仰せられます。『そしてかれは、威光高いお方、英知に溢れたお方。』(クルアーン31:9)

また、アッラーは仰せられました。『アッラーは、かれの外に崇拝すべきもののないお方。永生するお方、全てを司るお方。』(クルアーン1:3)

また、アッラーはこうも仰せられました。『全ての賛美は、全世界の主アッラーにあり。』(クルアーン1:2)




アッラーの美名と属性を信じることの実益:


1

アッラーを知ること。アッラーの美名と属性を信じた者は、アッラーについての知識が増加し、ひいてはアッラーへの信仰も明確に増加すると共に、アッラーを唯一視する力も強化されます。そしてアッラーの美名と属性を知った者が、その心をかれﷻへの崇敬と愛情、従順さで満たされるということは、真実なのです。.

2

アッラーをその美名によって讃えること。これはアッラーの念唱の中でも、最善の種類です。アッラーはこう仰せられました。『信仰する者たちよ、アッラーを沢山念唱するのだ。』(クルアーン33:41)

3

アッラーにその美名と属性でもって、お願いすること。アッラーは仰せられました。『そしてアッラーにこそ、美名は属する。ならばそれでもって、かれに祈るのだ。』(クルアーン7:180)例えばそれは、以下のように言うことです:「糧を授けて下さるお方よ、私にお授け下さい。」「よく悔悟をお受け入れになるお方よ、私の悔悟をお受け入れ下さい。」「慈愛深いお方よ、私をお慈しみ下さい。」





崇拝の意味とは?


崇拝とは:アッラーが愛でられ、お喜びになる全てのものに対する名称のこと。そこにはサラー(礼拝)・ザカー(浄財)・ハッジ(大巡礼)のような外面的行為や、アッラーとその使徒ﷺへの愛情・アッラーに対する畏怖の念・アッラーに全てを委ねること・かれに援助を乞うことなどの内面的行為の別なく、アッラーが命じられ、人々に勧められた言葉と行為が含まれるのです。



崇拝は、人生のあらゆる分野を対象とする:



崇拝は、それによってアッラーへのお近づきを意図するのであれば、信仰者の振るまい全てに適用されます。つまりイスラームにおける崇拝はサラー(礼拝)やサウム(斎戒)など、よく知られた行だけに留まりません。それどころか、よい意図と正しい目的があれば、全ての有益な行いはご褒美を授かることの出来る崇拝行為となるのです。例えば、ムスリムがアッラーへの服従における強化を意図して飲食したり、眠ったりすれば、彼はそれによってご褒美を得ることになります。こうしてムスリムは、その人生全てをアッラーのために送るのです。彼がアッラーへの服従における強化のために食べれば、その意図によって彼の食べるという行為は、一つの崇拝行為となります。また禁じられたものから自らを慎むために結婚すれば、彼の結婚は一つの崇拝行為となります。同様の意図によって、商売・仕事・お金を稼ぐことは崇拝行為になりますし、女性が夫や子供たち、家の世話をすることも崇拝行為となります。こうして人生のあらゆる分野と有益な行為・事象は、正しい意図と善い目的が伴うことで、崇拝行為となるのです。

あらゆる行為は正しい意図が伴っていれば、崇拝行為と見なされます。そして人は、それゆえにご褒美を頂けるのです。



崇拝は、創造における英知である:



アッラーは仰せられました。『そしてわれがジン(精霊)と人間を創ったのは、ただわれを崇拝させるためだったのだ。われは彼らから糧が欲しいわけでも、彼らがわれを養ってくれることを求めているわけでもない。本当にアッラーこそは、糧を授けられるお方、強大な力の主であられる。』(クルアーン51:56‐58)

このようにアッラーは、ジンと人間の創造における英知が、アッラーへの彼らの崇拝なのだと仰せられます。そしてアッラーは彼らの崇拝など、そもそも必要とされてはいません。かれの崇拝を必要としているのは、アッラーなしではいられない彼らの方なのです。

しかし人間が‐自分の存在における主の英知を想念することなく‐、この目的をおろそかにし、この世の欲望に埋もれてしまえば、彼はこの惑星における他の被造物と何ら変わりのない被造物と成り果ててしまいます。動物は人間とは違って、あの世で行いの清算を受けることはありませんが、食べ、遊ぶことだってします。アッラーはこう仰せられました。『また不信仰な者たちは、家畜が貪るように、楽しみ、食べている。そして地獄の炎が、彼らのための行き先なのだ。』(クルアーン47:12)彼らはその行動と目的において、動物にたとえられています。ただし彼らには、理性を持たないそれらの動物とは違い、理解し、知るための理性が備わっているゆえに、その行いゆえの応報を受けることになります。



崇拝の柱:



アッラーが命じられた崇拝は、2本の重要な柱の上に成り立っています:

1本目の柱:完全にへりくだり、畏怖すること。

2本目の柱:アッラーに対する完全な愛情。

アッラーがそのしもべに定められた崇拝は、アッラーに対する完全かつ最大限の愛情・かれへの熱望と期待と共に、かれに完全にへりくだり、畏怖の念を抱くことが必要です。

ここから、畏怖の念やへりくだりを伴わない愛情‐食べ物やお金への愛情のようなもの‐は、崇拝における愛情ではありません。同様に、愛情を伴わない畏怖の念‐野獣や不正な統治者への恐怖のようなもの‐も、崇拝ではないのです。そして行いにおいて畏怖の念と愛情が両立して初めて、崇拝となります。そして崇拝はアッラーだけにしか、向けられないのです。

崇拝が有効なものとなるためには、アッラーへの純粋さとその使徒に従うことが条件づけられます。



崇拝の条件:



  • 崇拝が正しく受け入れられるものとなるには、2つの条件があります:
    • 1

      いかなる共同者もないアッラーだけに対する崇拝を、純粋なものにすること。

    • 2

      アッラーの使徒ﷺのスンナ(47頁を参照)に整合し、それを順守していること。

アッラーは仰せられました。『いや、善行者であり、自らの顔をアッラーに向ける者、彼にはその主の御許に彼のご褒美がある。そして彼らには怖れることもなく、悲しむこともないのだ。』(クルアーン2:112)
この「自らの顔をアッラーに向ける」こととは、アッラーの唯一性を確証し、アッラーへの崇拝を純粋なものとする、という意味です。
そして「善行者」であることとは、アッラーの法と、アッラーの使徒ﷺのスンナに示されていることに従う、という意味です。



預言者ﷺのスンナとの整合性とは、サラー(礼拝)・サウム(斎戒)・アッラーの念唱など、純粋な崇拝に関してのことです。一方、アッラーからのご褒美を得るために、その意図を善いものとする習慣や行為‐例えば、アッラーへの服従における自己強化を意図して運動すること、家族や子供を養うために商売を営むこと‐など、より広い意味での崇拝に入るものについては、スンナとの整合性を求められません。そのようなことにおいては、単にスンナに反さず、禁じられたことを侵さなければ、十分なのです。

シルク


  • シルクは、アッラーのみが崇拝に値するという特質を信じることに、矛盾するものです。そしてアッラーのみが崇拝に値するという特質を信じ、アッラーを崇拝における唯一の対象とすることが最も重要で、最も偉大な義務であるとすれば、シルクはアッラーの御許で最大の罪となります。シルクは、そこから悔悟することを除いては、アッラーがお赦しにならない唯一の罪です。アッラーはこう仰せられました。『まさにアッラーは、何かがかれに並べられることを、お赦しにはならない。そしてそれ以外のことは、かれがお望みになる者にお赦しになるのだ。』(クルアーン4:48)また、アッラーの使徒ﷺは「アッラーの御許で最大の罪は、何ですか?」と質問され、こう答えています。「アッラーに対し、‐かれがあなたを創ったにも関わらず‐同位者を設けることである。」(アル=ブハーリー4207、ムスリム86)
  • シルクは服従行為を損ね、台無しにしてしまいます。アッラーは仰せられました。『そしてもし彼らがシルクを犯せば、彼らが行っていたことは台無しになってしまったであろう。』(クルアーン6:88)

    シルクはそれを犯す者を、地獄の炎の中に永遠に放りこんでしまいます。アッラーは仰せられました。『本当に、アッラーに対してシルクを犯す者、アッラーは彼に対して確かに天国を禁じられた。そしてその行き先は炎なのである。』(クルアーン5:72)



シルクには大小の2種類があります:


  1. 大シルク:何らかの崇拝行為を、アッラー以外の何かに向けること。

    つまり、アッラーが愛でられる全ての言葉や行為をアッラーに向ければ、それはアッラーの唯一視・信仰となります。しかしそれをアッラー以外の何かに向ければ、それはシルク・不信仰となるのです。

    この種のシルクの例:病気の回復、生活の糧の豊かさを、アッラー以外の何かに願ったり、祈ったりすること。アッラー以外の何かに全てを委ねること。アッラー以外の何かにサジダ(119頁を参照)すること。

    アッラーはこう仰せられました。『また、あなた方の主は仰せられた。“われに祈れば、われはあなた方に応えよう。”』(クルアーン40:60)

    また、アッラーは仰せられました。『あなた方が信仰者だというなら、アッラーにのみ全てを委ねよ。』 (クルアーン5:23)

    また、アッラーはこうも仰せられました。『ならばアッラーにサジダし、崇拝するのだ。』(クルアーン53:62)

    こうして、崇拝をアッラー以外の何かに向けた人は、シルクを犯す者・不信仰者となってしまいます。

  2. 小シルク:大シルクへの手段、それに陥る経路となるような全ての言動。

    この種のシルクの例:人に見せるために、時にサラー(礼拝)を長く伸ばしたり、人がそれ聞いて讃えるように、時に読誦や念唱の声を上げることなど、軽度のひけらかし行為。アッラーの使徒ﷺは、こう仰りました。「私があなた方に対して最も怖れるものは、小シルクだ。」教友たちは言った。「アッラーの使徒ﷺよ、小シルクとは何ですか?」彼は言った。「ひけらかしの行為である。」(アフマド23630)

    しかし、他人の目だけのためにしか基本的な崇拝を行わず、それがなければサラー(礼拝)もサウム(斎戒)も行わないのであれば、それは偽信者の行いとなります。それは大シルクであり、人をイスラームの外へと追いやってしまう行為です。



他人に何かを願い、頼むことはシルクか?



イスラームは人間の理性を迷信や倒錯から解放し、自分自身をアッラー以外のものへの服従から解き放つために到来しました。

ゆえに死人や物体にお願いをしたり、そのようなものに従ったり、へりくだったりすることは、絶対に許されません。そのようなものは迷信であり、シルクなのです。

ですが、その場にいる生きている人に、可能な範囲のこと‐溺れることからの援助や救助など‐をお願いしたり、自分自身のためにアッラーに祈ってもらったりすることは、許されます。


  • お願い・依頼の対象は物体や死人か?
    • はい

      それは、イスラームと信仰に反するシルクです。なぜなら死人も物体も、依頼を聞くことはなく、それに応えることもないからです。そして祈願は崇拝であり、それをアッラー以外のものに向けることはシルクです。預言者ﷺが遣わされた時代におけるアラブ人のシルクは、まさに物体や死人に対する祈願でした。

    • いいえ

      言葉や依頼を聞くことが出来る、生きた人へのお願いや依頼です。それではその人は、あなたのお願いに応じることの出来る人(彼の所有・能力の範囲内において、援助や手伝いを頼むというように)ですか?

      • はい

        このような依頼は何の問題なく、合法なものです。そしてこれは、人間の合法な日常的関係・付き合いの一部です。

      • いいえ

        生きている人でも、その所有・能力の範囲外のことを頼むこと‐例えば、不妊の人が誰か生きている人に、健全な子孫を授けてくれることを頼むこと‐は、イスラームとは相容れない大シルクです。なぜなら、それはアッラー以外のものへの祈願だからです。

 その場にいる生きている人に、可能な範囲のことを頼むことは、人間の合法な日常的関係・付き合いの一種です。


最高レベルの信仰


最高レベルの信仰:


信仰には様々なレベルがあります。ムスリムの信仰は不注意と罪により減少し、アッラーへの服従と崇拝、畏怖の念が増加すればするほど、信仰も増加するのです。

最高レベルの信仰とは、イスラームの教えが「イフサーン(至善)」と名付けたものです。預言者rはそれを、次のような言葉で定義しました:「あたかもアッラーを見ているかのように、かれを崇拝すること。そして、たとえかれを目にしていなくても、実にかれはあなたをご覧になるのだ。」(アル=ブハーリー50、ムスリム8)

 あなたが立つ時も、座る時も、真面目な時も ふざけている時も、あらゆる状態においてアッラーがあなたをご存知になり、ご覧になっていることを思い出して下さい。アッラーがあなたをご覧になっていることを知りつつ、かれに逆らってはなりません。また、かれがあなたと共にあることを知りつつ、恐怖や絶望に打ちひしがれてはなりません。かれに祈り、サラー(礼拝)しながら、どうして孤独を感じるでしょうか? かれがあなたの秘密も露わにしていることもご存知であることを確信しながら、どうして罪に走るのでしょうか? そしてうっかり誤ったり、間違えたりしても、アッラーのもとに立ち返り、悔悟し、罪を乞えば、かれはあなたの悔悟をお受け入れ下さるのです。




アッラーを信じることの実益


アッラーを信じることの実益:


1

アッラーはあらゆる凶事を信仰者から追いやり、彼らを災難からお救いになり、敵の策謀から守って下さります。アッラーはこう仰せられました。『実にアッラーは、信仰する者たちをお守り下さる。』(クルアーン22:38)

2

信仰はよき人生と幸せ、喜びの源です。アッラーは仰せられました。『男女を問わず信仰者であり、正しい行いをする者、われらは必ずや彼によき人生を送らせるのだ。』(クルアーン16:97)

3

信仰は、心を迷信から清めてくれます。アッラーを本当に信じる人は、自分のことをアッラーだけに任せます。というのもかれは全世界の主であり、かれ以外には崇拝されるべき存在のない、真の神だからです。こうして彼は造被物を恐れることもなく、他人に心を預けることもありません。そして彼は、迷信や妄想から解放されるのです。

4

信仰の最も偉大な効果として、以下のようなものがあります:アッラーのお喜びを勝ち得ること。天国に入ること。永遠の安寧と、完全な慈悲の獲得です。



天使を信じること



天使を信じることの意味:



それは以下のようなこ とを、完全に信じることで す:天使の存在。彼らが人 間の世界やジン(精霊)の 世界ではない、不可知の世 界に属していること。彼ら がアッラーを真の崇拝でも って崇拝する、高貴で敬虔 な存在であること。彼らが アッラーから命じられたこ とを実行し、かれには絶対 に反抗しないこと。

アッラーは仰せられま した。『いや、(天使たち は)高貴なしもべたち。か れのご命令に沿って行うの であり、かれに先駆けて喋 ることもない。』 (クル アーン21:26‐27)

天使を信じることは、 信仰の6本の柱の一つで す。アッラーはこう仰せ られました。『使徒は、 その主から彼に下された ものを信じた。そして信 仰者たちも。(彼らは) 皆、アッラーとその天使 たち、その啓典、その使 徒たちを信じるのだ。』 (クルアーン2:285)

また預言者ﷺは信仰に ついて、こう仰りました。 「アッラーとその天使た ち、その啓典、その使徒た ち、最後の日、善いことで あれ悪いことであれ、定命 を信じることだ。」(ムス リム8)



天使を信じることには、何が含まれるのか?



1

彼らの存在を信じること:つまり私たち は、以下のことを信じます:彼らがアッラ ーの被造物であること。彼らが本当に存在 すること。彼らが光から創られたこと。彼 らが、アッラーの崇拝と服従という天性を 与えられていること。

2

ジブリールのように、天使たちの内で名 前が分かっているものを信じると共に、名 前を知らないものに関しても、ひっくるめ て信じること。

3

彼らの特質について分かっているものを、 信じること。それらの特質には、以下のよ うなものがあります: 


• 彼らが不可知の世界に属しており、アッラーを崇 拝する被造物であること。また、主としての特質 や、崇拝される特質などは、全く有していないこ と。むしろ彼らは、アッラーの服従において完全に 従順な、アッラーのしもべなのです。アッラーはこ う仰せられました。『彼らはアッラーが彼らに命じ ることにおいて、かれに逆らうことがない。そし て、命じられることを実行するのである。』(クル アーン66:6)


• 彼らが光から創られたということ。預言者ﷺは仰 りました。「天使は光から創られた。」(ムスリ ム2996)


• 彼らには、翼があること。アッラーは、その数は 違えど、天使たちには翼があると仰せられました。 『諸天と大地を創られたお方、天使たちを2枚、3 枚、4枚と翼を備えた使いとされたお方、アッラー に全ての賛美あれ。かれは創造に、お望みのものを 付け加えられる。本当にアッラーは、全てのことが お出来なのだ。』(クルアーン35:1)


4

アッラーのご命令のもと、彼らが行うと分かっている行為を信じること。これ には、以下のようなものがあります:  


• アッラーからの啓示を使徒たちに伝えるよう、委任されていること。これは ジブリールのことです。


• 魂を引き抜くことを委任されていること。これは死の天使と、その補佐たち のことです。


• 善いことであろうと悪いことであろうと、しもべの行いを記録し、筆記する ことを委任されていること。これは「高貴なる筆記者たち」のことです。



天使を信じることの実益:


天使を信じることには、信仰者の人生において偉大な実益があります。その内 のいくつかを、以下に挙げてみましょう:

1

アッラーの偉大さと御力、その全能性を知ること。被造物の偉大さは、創 造者の偉大さによるものです。アッラーが光から、翼を備えた天使を創造さ れたということは、アッラーへの信仰者の畏敬と崇敬を上乗せします。

2

アッラーへの服従における確立。天使が自分の行いを全て書き留めること を信じる者は、アッラーに対する恐怖心が増加します。そして公けでも、誰 も見ていない所でも、アッラーに逆らわなくなります。

3

アッラーへの服従における忍耐心と、落ち着きと安らぎを感じること。と いうのも信仰者はこの広い世界に、最高の状態かつ完全な形でアッラーの服 従に勤しむ、莫大な数の天使が共にあることを確信しているからです。

4

アーダムの子ら(人類)に対するご配慮について、アッラーに感謝するこ と。というのもアッラーは天使たちの一部を、人間の守護役とされたからで す。


預言者ﷺは、こう仰りました。天はその住人で溢れかえっている。そして手のひらほ どの間隔も空けず、天使が(崇拝のため)立ち、ルクーし、サジダ(111頁を参照)し ているのだ、と。


啓典を信じること



啓典を信じることの意味:



それは以下のことを、完全に信じるこ とです:アッラーにはそのしもべたちに 向けて、その使徒たちに下した啓典があ ること。それらの啓典は、アッラーがか れに相応しい形で実際に語られた、アッ ラーの御言葉であること。それらの啓典 には、真理と光、この世とあの世におけ る人々への導きがあること。

啓典を信じることは、信仰の6本の柱 の 1つです。アッラーは仰せられまし た。『信仰する者たちよ、アッラーとそ の使徒たち、かれがその使徒に下した啓 典と、それ以前に下した啓典を信じよ。 』(クルアーン4:136)

こうしてアッラーは、かれご自身とそ の使徒を信じると共に、かれがその使徒 ﷺに下した啓典‐クルアーン‐と、それ 以前に下した啓典を信じることをご命じ になりました。

また預言者ﷺは信仰について、こう仰 りました。「アッラーとその天使たち、 その啓典、その使徒たち、最後の日、善 いことであれ悪いことであれ、定命を信 じることだ。」(ムスリム8)

クルアーンの筆記は、これ以上な いほどの細かい完成基準に沿って行 われます。




啓典を信じることには、何が含 まれるのか?



1

それらが、アッラーの御許から本 当に下ったことを信じること。

2

それらが、アッラーﷻの御言葉で あることを信じること。

3

私たちの預言者ﷺムハンマドに下 されたクルアーン、ムーサーに 下されたトーラー、イーサーに 下された福音など、それらの内、 アッラーがその名について言及さ れているものを信じること。

4

それらの情報の内、正しいものを 信じること。





クルアーンの特徴と固有性:



クルアーンは私たちの預言者であり模 範であるムハンマドﷺに下された、アッ ラーの御言葉です。そして信仰者はこの 啓典を崇敬し、それが定めている決まり の順守と、その読誦、その意味の熟考に おいて努力するのです。

そしてクルアーンがこの世における私たちの伝道者であり、あの世における私たち の勝利の理由であることだけで、私たちには十分なのです。


クルアーンには、それ以前の他の啓典とは一線を画する沢山の特徴と、数多く の固有性があります。その一部を以下に挙げてみましょう:


1

クルアーンには、天啓法の要約が含まれています。そしてそれ以前の啓典にもあっ た、アッラーのみを崇拝するという命令を支持し、確証すべく到来したのです。

アッラーは仰せられました。『そしてわれらはあなたに、それ以前の啓典を確 証し、それらを統括するものとして、真理と共にその啓典を下したのだ。』(ク ルアーン5:48)

「それ以前の啓典を確証」することとは、「それ以前の啓典で言及されてい る、信仰箇条や情報に同意する」という意味です。また「それらを統括する」と は、それ以前の啓典を保証し、証言する、という意味です。

2

全人は、その言語や血統がいかなるものであれ、クルアーンを順守し、それが要 求するものに則って行わなければなりません。それはクルアーンが下った時代か らいかに遠ざかろうとも、変わらないのです。一方それ以前の啓典はこれとは異 なり、特定の時代の特定の民に下ったものでした。アッラーはこう仰せられま す。『また私には、このクルアーンが啓示された。それは、それでもってあなた 方と、それが到達した者に警告するためである。』(クルアーン6:19)

3

アッラーご自身が、クルアーンの保護を保証されたということ。ゆえに、そこに改 竄の手が伸びることはありませんでしたし、これからも永遠にそうなのです。アッ ラーはこう仰せられました。『まさにわれらが訓戒を下したのであり、そして本当 にわれらが、それに対する守護者なのだ。』(クルアーン15:9)この理由から、ク ルアーンの全情報は正しいのであり、それを信じることが義務づけられるのです。




クルアーンに対する私たちの義務と は?
  • 私たちはクルアーンを愛し、その価値を偉大 視し、そして敬意を払わなければなりません。 なぜならクルアーンは創造主ﷻの御言葉であ り、最も正しい最上の言葉だからです。
  • 私たちはクルアーンの章句を熟慮しつつ朗誦 し、読み、その訓戒・情報・説話を熟考しなけ ればなりません。また真理と虚妄とを判別する ために、そこに私たちの人生を照らし合わさな ければならないのです。
  • また私たちはクルアーンの法規定に従い、そ の命令と作法に則り、それを私たちの人生の手 法としなければなりません。

預言者ﷺの妻アーイシャは、彼の品性について 尋ねられた時、こう答えてい ます。「彼の品性は、クル アーンでした。」(アフマ ド24601、ムスリム746)

 この伝承の意味は、こう です:アッラーの使徒ﷺはそ の人生と行いにおいて、クルアー ンの規定と法の実践例でした。かれはク ルアーンの導きに対する完全な服従を実現した のであり、私たち全員のよき見本なのです。ア ッラーはこう仰せられました。『あなた方‐ア ッラーと最後の日を望み、アッラーをよく念じ る者‐には確かに、アッラーの使徒の中 に善き見本があるのだ。』(クルア ーン33:21)




クルアーン以前の啓典に対する、私たちの立場とは?



ムスリムは、ムーサーに下されたトーラー、イー サーに下された福音が、アッラーの許御から下った真 理であることを信じます。また、そこには生活と、この 世とあの世の人生における人々への導きと光を含んだ、 法規定・訓戒・情報があることを信じるのです。

しかしアッラーは、クルアーンの中で私たちに、ユ ダヤ教徒・キリスト教徒が彼らの啓典を改竄し、そこに 付け足しや削除を施してしまったことを、お知らせにな りました。それでそれらの啓典は、アッラーが下された 状態のままではなくなってしまったのです。

現存するトーラーは、アッラーがムーサーに下さ れたトーラーではありません。なぜならユダヤ教徒たち がそれを改竄・改変し、その多くの法規定を弄んだから です。アッラーはこう仰せられました。『ユダヤ教徒と なった者たちの一部は、言葉をそのあるべき場所から改 竄する。』(クルアーン4:46)

同様に、現存する福音もまた、イーサーに下され た福音ではありません。キリスト教徒は福音を改竄し、そ の法規定の多くを改変しました。アッラーはキリスト教徒 について、こう仰せられます。『また本当に彼らの中に は、あなた方がそれを啓典と思い込むように、啓典につい て舌を歪める一派がある‐そしてそれは、啓典の一部など ではないのだ‐。そして彼らは、それがアッラーの御許か らのものではないのに、“それはアッラーの御許からのもの”と言う。彼らは知り つつ、アッラーに対して 嘘を語っているのだ。』 (クルアーン3:78)

 『また、“私たちは キリスト教徒である”と 言う者たちから、われら は彼らの確約を受け取っ たが、彼らは自分たちが 戒められていたことの一 部を忘れてしまった。そ れでわれらは審判の日ま で、彼らの間に敵意と憎 しみを煽り立てたのだ。 そしてアッラーはやが て、彼らが行っていたこ とについてお告げになる だろう。』(クルアーン 5:14)

 こうした理由から、 私たちは現在、啓典の民 の手許にある聖書と呼ば れるもの、トーラーと福 音の内容が、多くの誤っ た信仰箇条・根拠のない 情報・嘘の話に満ちてい るのを目にします。私た ちはこれらの啓典の情報 の内、クルアーンか真正 なスンナ(47頁を参照) がその正当性を認めたも のしか信じません。そし てクルアーンとスンナが 嘘としたものを嘘とし、 それ以外のものに関して は正しいとも嘘ともせ ず、沈黙するのです。

こうした一方、ムス リムはそれらの啓典に敬 意を払い、それらを蔑ん だり、冒涜したりはしま せん。なぜならその中に は、改竄されなかったア ッラーの御言葉の残り が、含まれている可能性 があるからです。

ムスリムは、トーラーと福音がアッラーの御許から 下ったものの、そこには多くの改竄・改変が加えられ たと信じています。それで私たちは、その中でも、ク ルアーンとスンナ(47頁を参照)と符合する部分しか 信じないのです。


啓典を信じることの実益:


啓典を信じることには、 多くの実益があります。そ の一部を以下に挙げてみま しょう:

1

アッラーの、そのし もべたちに対するご配 慮、そのご慈悲の完全 さを知ること。アッラ ーは全ての民に、それ でもって彼らを導き、 この世とあの世での幸 せを達成するための啓 典を下されました。

2

その法における、ア ッラーの英知を知るこ と。アッラーは全ての 民に、その状況と特性 に合った法を定められ ました。アッラーは仰 せられます。『われら はあなた方のそれぞれ に、法と道を授けた。 』(クルアーン5:48)

3

 それらの啓典を下さ れたことにおける、ア ッラーの恩恵に感謝す ること。それらの啓典 はこの世とあの世にお ける光と導きですか ら、この偉大な恩恵に 対するアッラーへの感 謝が義務づけられるの です。




使徒を信じること



人間はアッラーのメッセージを必要としている:



人々には、彼らに法を明らかにし、彼らを正しさへと導く、主のメッセージが必要 です。アッラーからのメッセージは世界の魂であり、光であり、生命です。魂、生 命、光がなくなったら、世界にいかなる改善が見込めるでしょうか?

アッラーがご自身のメッセ ージを「魂」と名付けられた のは、こういうわけなので す。魂がなければ、生命もあ りません。アッラーはこう仰 せられました。『また同様 に、われらはわれらの御許か らの魂をあなたに下した。あ なたは啓典も信仰も、知らな かった。しかしわれらがそれ を、われらのしもべたちの 内、われらが望む者をそれで もって導く光としたのだ。』 (クルアーン42:52)

これは、理性が一般的な形 で善悪を判別出来るものの、 その詳細や部分的なもの、 崇 拝とその行い方については、 啓示とアッラーからのメッセ ージを介してでしか知ること が出来ないからです。

ゆえにこの世とあの世での 幸せと成功は、使徒たちを通 してでしか獲得することは出 来ません。彼らを通してでし か、善悪を詳細に渡って知る ことは出来ないのです。アッ ラーからのメッセージに背を 向ける人は、そこに反し、背 を向ける度合いに応じて、混 乱・不安・不幸に陥ることに なります。




信仰の柱の1本:



使徒を信じることは、信仰の6本の 柱の1本です。アッラーはこう仰せら れました。『使徒は、その主から彼に 下されたものを信じた。そして信仰者 たちも。(彼らは)皆、アッラーとそ の天使たち、その啓典、その使徒たち を信じるのだ。』(クルアーン2:285)

この節は、区別することなく、全て の使徒を信じる義務を表しています。 ゆえに私たちはユダヤ教徒やキリスト 教徒のように、ある使徒を信じて別の 使徒は信じない、ということをしない のです。

また預言者ﷺは信仰について、こう 仰りました。「アッラーとその天使た ち、その啓典、その使徒たち、最後の 日、善いことであれ悪いことであれ、 定命を信じることだ。」(ムスリム8)





使徒を信じることの意味:



それは以下のことを、完全に信じる ことです:アッラーが全ての民に、彼 ら自身の内から、いかなる共同者もな いアッラーだけを崇拝することへと招 く、使徒を遣わされたということ。使 徒は皆、正直・信仰者・敬虔・誠実で あり、人を導き、また彼ら自身導かれ た者たちであること。また、彼らがア ッラーから託されて遣わされたもの全 てを伝え、それを隠したり、変えた り、一文字たりとも自分で付け加えた り、削除したりすることがなかったこ と。アッラーはこう仰せられました。 『それで一体、使徒たちには明白なる 伝達以外、何を課せられているという のか?』(クルアーン16:35)






使徒を信じることには、何が含まれるのか?



1

アッラーからのメッセージが真実 であることを信じること。また全 てのメッセージは、いかなる共同 者もないアッラーだけを崇拝する ことへと招くことにおいて、一致 していることを信じること。アッ ラーは仰せられました。『またわ れらは、全ての民に使徒を遣わ した。(彼らは民にこう命じたの だ。)“アッラーを崇拝し、ター グート(アッラー以外に崇拝され るもの)を避けよ。”』(クルア ーン16:36)

各預言者の法は、許されるものや 禁じられるものなどの派生的部分 において、各民に適当な形で異な る場合があります。アッラーは仰 せられました。『われらはあなた 方のそれぞれに、法と道を授け た。』(クルアーン5:48)

2

全ての預言者と使徒を信じるこ と。私たちはムハンマド、イブラ ーヒーム、ムーサー、イーサー、 ヌーフのように、アッラーがその 名に言及された預言者ﷺを信じま す。一方、彼らの内、名前が分か らない者については全体的な形で 信じます。そして彼らの内の一人 でも、そのメッセージを否定すれ ば、全ての預言者を否定したこと になるのです。

3

ムーサーが海を真っ二つにし た話などのように、使徒たちの情 報・奇跡・スンナ(47頁を参照) の内、正しいものを信じること。

4

私たちに遣わされた使徒‐最良か つ最後の使徒ムハンマドﷺ‐の法に 則って行うこと。


使徒の特質:
1

彼らは人間であり、アッラーが彼らを啓示とメッセージによって特別化さ れたことを除けば、他の人間と変わりはありません。アッラーはこう仰せ られました。『われらはあなた以前、(人間)男性以外には、遣わして啓 示を授けることがなかった。』(クルアーン21:7)

彼らには、主としての特質や、崇拝される特質などは、全くありません。 しかし彼らは品格的高さの頂点にあると同様に、容姿の秀逸さを極めた人 間であり、同時に最良の血統を有する人々でもあります。また彼らには、 彼らがメッセージの責任を担い、預言者としての任務を負うことを適役と する、優れた理性と雄弁さが備わっているのです。

アッラーが人間を使徒としたのは、同種の者たちへの見本とするためでし た。そうすれば使徒に従い、彼を手本とすることは、彼らに可能なこととな り、彼らの出来る範囲内のこととなるのです。

2

アッラーは、彼らをそのメッセージによって特別な存在としました。アッ ラーﷻは啓示によって彼らを、他の人々よりも特別にしたのです。アッラ ーはこう仰せられました。『言え。“私は、あなた方の神は唯一の神であ る、ということを啓示された、あなた方と同様の1人の人間に過ぎない。” 』(クルアーン18:110)

 ゆえに預言者性・使徒性というものは、魂の清浄さや頭脳、知的論理など によって得られるものではなく、主による選択なのです。アッラーは使徒たち を、他の人々の中から選び抜かれました。アッラーはこう仰せられます。『ア ッラーはそのメッセージを託される先を、最もよくご存知である。』(クルア ーン6:124)

3 また彼らは、彼らがアッラーから伝えることにおいて無謬です。彼らは、ア ッラーからの伝達において間違えることがなく、アッラーが彼らに示啓したこ との実行を誤ることもないのです。
4 正直さ:使徒たちは、その言動において正直です。アッラーは仰せられまし た。『これは慈悲深いお方が約束されたこと。そして使徒たちは、正直だった のだ。』(クルアーン36:52)
5 忍耐強さ:使徒たちは吉報を告げ、警告を放ちつつ、人々をアッラーへと招 きました。そして色々な害悪と、様々な困難が彼らに襲いかかりましたが、彼 らはアッラーの御言葉を掲げるための道において、辛抱したのです。アッラー は仰せられました。『ならば、忍耐せよ。使徒たちの内、決意固き者たちが忍 耐したように。』(クルアーン46:35)



使徒の印と奇跡:



アッラーはその使徒を、彼らの正直 さと預言者性を示す様々な根拠と証拠に よって、援護しました。その一つが、彼 らの正直さを確認し、その預言者性を確 証するために、人間の能力では不可能な 奇跡や明らかな印によって、彼らを援護 したことです。

ここでいう奇跡とは:アッラーがそ の預言者と使徒の手で行わせる超常現象 のことで、人間にはそのようなものを起 すことが不可能なようなものです。

その例には、以下のようなものがあ ります:

  • ムーサーの杖が蛇に変化したこ と。
  • イーサーがその民に、彼らが家で 食べ、蓄えるものについて告げたこ と。
  • 私たちの預言者ムハンマドﷺが、月を 真っ二つにしたこと。



 イーサーﷻについてのムスリムの信仰:



1

彼は、最も偉大かつ最も高潔 な使徒であった「決意高き使徒たち」‐ム ハンマド、イブラーヒーム、ヌーフ、ムー サー、イーサーのこと‐ の1人です。ア ッラーは仰せられました。『また、われら が預言者たちと、あなた、ヌーフ、イブラ ーヒーム、ムーサー、マルヤムの子イーサ ーから、確約を受け取った時(のことを思 い出せ)。』(クルアーン33:7)

2

イーサーは、アッラーが恩寵を授 けられ、イスラーイール(イスラエル) の民に遣わされ、その手によって数々の 奇跡を起こさせられた、アーダムの子孫で 1人の人間です。そして彼には、主として の特質や、崇拝されるに値するという特質 は、全く備わっていません。アッラーはこ う仰せられました。『彼は、われらが恩恵 を授け、イスラーイールの民への御徴とした、1人のしもべに過ぎなかったのだ。』 (クルアーン43:59)

また彼はその民に、アッラーを差 しおいて、自分とその母親を2つの神とす ることなどを命じたりはしませんでした。 彼が彼らに言ったのは、アッラーが彼にそ うご命じになったことだけです。『私の主 であり、あなた方の主であるアッラーを崇 拝せよ、と。』(クルアーン5:117)

3

彼はマルヤム(マリヤ)の子であり、 その母親マルヤムは正しく、正直で、主 に従順で崇拝に勤しむ、慎み深く貞淑な、 男性を知らない女性でした。彼女はアッラ ーﷻの御力により、イーサーを父親な しに身ごもりました。アッラーはアーダム を両親なしに創造したように、彼を永遠に 残る奇跡として創造したのです。アッラー は仰せられました。『実にアッラーの御許 で、イーサーはアーダムのようなものであ る。かれは彼(アーダム)を砂から創ら れ、それから「あれ」と仰せられ、そして それはその通りになったのだ。』(クルア ーン3:59)

4

彼とムハンマドﷺの間に、使徒はいませ ん。そしてイーサーは私たちの預言者ﷺにつ いて、吉報を伝えました。アッラーはこう 仰せられています。『またマルヤムの子イ ーサーが、こう言った時(のことを思い出 せ)。“イスラーイールの子らよ、本当に 私は、私以前のトーラーを確証し、私の後 に到来するアフマドという名の使徒につい て吉報を告げる、あなた方へのアッラーの 使徒である。”それで彼が明証を携えて彼 らのもとに到来すると、彼らは言った。“ これは明らかな魔術である。”』(クルア ーン61:6)

5

私たちは、アッラーが彼の手によって 起こさせた奇跡‐ハンセン病患者や視力障 害者を治療したり、死人を生き返したり、 人々が家で食べ、蓄えるものについて告 げることなど‐を信じます。そしてそれら 全ては、アッラーのお許しによるものでし た。アッラーはそれらを、イーサーの預言 者性と使徒性に対する、明白な証拠とされ ました。

6

イーサーについて、以下のことを信じ るまで、誰も信仰を全うしたことにはなり ません:彼がアッラーのしもべであり、使 徒であるということ。ユダヤ教徒が彼を描 写したような無根拠で忌まわしい性質‐ア ッラーご自身が、彼をそのような性質から 無実であるとされました‐から、彼が無実 かつ無縁なこと。

また私たちは、マルヤムの子イーサー の実情を理解することにおいて迷ってい る、キリスト教徒の信仰とは無縁です。 彼らはアッラーをよそに彼と彼の母を神 とし、ある者は「彼はアッラーの御子であ る」と言い、また別の者は「彼は三位一体 の1つである」と言います。アッラーはその ようなことから、遥かに高遠なお方です。

7

彼は殺されたのでも、磔の刑にされた のでもありません。しかしアッラーはユ ダヤ教徒らが彼を殺そうとした時、彼では ない者を彼に似せられたのです。そして彼 らはその者を殺して磔にし、彼をイーサー だと思い込みました。アッラーは仰せられ ました。『そして、彼らの“本当に私たち は、アッラーの使徒、マルヤムの子マスィ ーフ(メシア)・イーサーを殺したのだ” という言葉ゆえに(アッラーは彼らを呪わ れた)。彼らは彼を殺してもいないし、磔 にもしなかった。しかし、彼らは惑わされ たのである。彼らにはそのことについて僅 かばかりの知識もなかったが、憶測に従っ ていただけなのだ。そして彼らは、確信を もって彼を殺したわけではない‐そうでは なく、アッラーが彼をご自身のもとに上げ られたのだ。アッラーは威光高いお方、英 知に溢れたお方である‐。そしていかなる 啓典の民でも、彼の(本当の)死の前に は、彼を必ず信じることになる。彼は審判 の日、彼らに対する証人となるのである。 』(クルアーン4:157‐159)

 こうしてアッラーはイーサーをお守 りになり、天のかれの御許へと上げられま した。そして彼は末世には地上に降臨し、 預言者ムハンマドﷺの法によって統治する ことになります。それから地上で死に、埋 葬され、他のアーダムの子孫と同様に、再 びそこから出されるのです。アッラーは仰 せられました。『われらはそこからあなた 方を創り、そこへとあなた方を戻す。そし て再び、そこからあなた方を出すのだ。』 (クルアーン20:55)

ムスリムは、イーサー がア ッラーの偉大な使徒たちの一人で あると信じますが、彼は神でもな く、殺されたのでも、磔にされた のでもありません。




ムハンマドﷺを預言者・使徒として信じること:



  • 私たちは、預言者ムハンマドﷺについて、 以下のことを信じます:彼がアッラーのしも べであり、使徒であること。彼が先人と後世 の者たちの長であること。彼がそれ以後にい かなる預言者もない、最後の預言者であるこ と。彼がアッラーからのメッセージを伝え、 信託を果たし、彼の共同体に忠告をし、アッ ラーゆえに真のジハード(奮闘)をしたとい うこと。
  • また私たちは、彼の伝えたことを信じま す。彼が命じたことに従い、彼が禁じ、控え るように言ったことからは、身を遠ざけま す。また彼のスンナ(47頁を参照)に則って アッラーを崇拝し、他の誰ならぬ彼を手本と します。アッラーはこう仰せられました。『 あなた方‐アッラーと最後の日を望み、アッ ラーをよく念じる者‐には確かに、アッラー の使徒の中に善き見本があるのだ。』(クル アーン33:21)
  • また私たちは、預言者ﷺへの愛情を、親や 子供、全ての人々への愛情よりも優先させ なければなりません。彼ﷺは、こう仰りまし た。「私のことが自分の親や子供、いかなる 者よりも自分自身にとって愛すべき存在とな るまで、誰も(真に)信仰したことにはなら ない。」(アル=ブハーリー15、ムスリム44 )そして彼に対する本当の愛情は、彼のスン ナに従い、彼の導きを手本とすることです。 真の幸福と完全なる導きは、彼への服従によ ってでしか達成されません。アッラーは仰 せられました。『また、あなた方が彼に従 えば、あなた方は導かれよう。そして使徒に は、明白なる伝達以外の何も課されてはいな いのである。』(クルアーン24:54)
  • 私たちは預言者ﷺがもたらしたものを受け 入れ、彼のスンナに従い、彼の導きを崇敬と 礼賛の対象としなければなりません。アッ ラーは仰せられました。『そしてあなたの主 に誓って。彼らは、彼らの間で争いが起こっ たことにおいて、あなたに判決を仰ぎ、あな たが決めたことに対して自分自身の内に何の 不満もなく、完全に受け入れるようになるま では、(真に)信仰したことにはならないの だ。』(クルアーン4:65)
  • 私たちは預言者ﷺの命令に反 しないよう、注意する必要があ ります。なぜなら彼に反するこ とは、試練と迷い、痛ましい罰 の原因となるからです。アッラ ーは仰せられました。『彼の命 令に反する者たちは、彼らに試 練が降りかかったり、あるいは 痛ましい懲罰が襲いかかったり しないよう用心せよ。』(クル アーン24:63)



ムハンマドﷺが伝えたメッセージ の特性:


ムハンマドﷺが伝えたメッセー ジは多くの特性において、それ までのメッセージとは違う特別 なものです。

  • ムハンマドﷺが伝えたメッセ ージは、それ以前のメッセージ の最終版です。アッラーは仰せ られました。『ムハンマドは、 あなた方男性の誰の父親でもな い。しかし(彼は)アッラーの 使徒、預言者たちの封印なので ある。』(クルアーン33:40)
  • ムハンマドﷺが伝えたメッセージは、 それ以前のメッセージの改訂です。ゆえ に預言者ﷺが遣わされた後、アッラーは ムハンマドﷺに従わない限り、誰からも いかなる宗教もお受け入れにはならない のです。いかなる者も、彼の道によって 以外は、天国の安楽に辿り着くことはあ りません。彼ﷺは最も栄誉あふれた使徒 であり、彼の共同体は最も優れ、彼の法 は最も非の打ち所のない法なのです。ア ッラーは仰せられました。『そしてイス ラームではないものを宗教として望む者 は、決して受け入れられない。彼はあの 世において、損失者の仲間なのである。 』(クルアーン3:85)また、預言者ﷺは こう仰りました。「ムハンマドの魂がそ の御手にあるお方に誓って。ユダヤ教徒 であろうとキリスト教徒であろうと、こ の民の内の者で私について耳にし、それ から私が携えて遣わされたものを信じず に死んだ者は、地獄の民なのである。」 (ムスリム153、アフマド8609)
  • ムハンマドﷺが伝えたメッセージは、 ジン(精霊)と人間の2種族へ向けられ た普遍的なものです。アッラーはジンの 言葉をお伝えになって、次のように仰せ られます。『私たちの民よ、アッラーへ と招く者に応じるのだ。』(クルアーン 72:31)また、こうアッラーは仰せられ ます。『そして、われらがあなたを遣わ したのは、全人に対して吉報を伝え、警 告を告げる者とするために外ならなかっ たのだ。』(クルアーン34:28)また預 言者ﷺは、こう仰りました。「私は6つ のことにおいて、(他の)預言者ﷺたち よりも引き立てられた:つまり、私は総 括的な言葉を与えられたし、(敵への) 戦慄でもって勝利させられた。また私に は戦利品が合法化され、私にとっては全 ての大地が清浄なもの、かつモスクとさ れた。そして私は全ての被造物に遣わさ れ、私によって預言者たちは封印された のである。」(アル=ブハーリー2815、 ムスリム523)




使徒を信じることの実益:


使徒を信じることには、偉大な実益があります。その一部を、以下に挙げてみま しょう:

1

アッラーのご慈悲と、しもべたちに対するかれのご配慮について知ること。アッ ラーは彼らが正しい道に導かれるよう、使徒を遣わされました。そして使徒たち は、アッラーの崇拝の仕方を、彼らに説明したのです。なぜなら人の理性は、それ を知るには役不足だからです。アッラーは私たちの預言者ﷺムハンマドについて、 こう仰せられます。『そしてわれらがあなたを遣わしたのは、全世界への慈悲とす るために外ならない。』(クルアーン21:107)

2

この偉大な恩恵に対する、アッラーへの感謝の念。

3

使徒たちへの愛情と、崇敬、そして彼らへの当然の讃美。なぜならば、彼ら はアッラーの崇拝を行い、そのメッセージを伝達し、そのしもべたちに忠告を してくれたからです。

4

使徒たちがアッラーの御許から携えてやって来たメッセージに従うことと は、外に共同者のいないアッラーだけを崇拝し、そのメッセージに則って行う ことです。そうすることで信仰者には、人生における善と導き、そしてこの世 とあの世での幸福が実現するのです。

アッラーは仰せられました。『それでわが導きに従う者は、迷うことも不幸 になることもない。そしてわが訓戒に背を向ける者、本当に彼には苦しい生活 がある。』(クルアーン20:123‐124)


アクサー・モスクはムスリムの中で、特別な地位を占めています。それは地上でハラー ム・モスクの次に建てられたモスクで、アッラーの使徒ﷺとその他の預言者たちが、そ こでサラー(礼拝)をしたからです。


最後の日を信じること



最後の日を信じることの意味:



アッラーが人々を墓から蘇らされること、そしてアッラーが彼らの行いを清算さ れること、また行いに応じて報いを与えられ、天国の民はその住まいへ、地獄の 民もまたその住まいに定住することになる、と完全に信じることです。

最後の日を信じることは、信仰の柱の1本です。これ抜きに、信仰は成り立ちま せん。アッラーは仰せられました。『しかし善(を行う者)とは、アッラーと最 後の日を信じる者。』(クルアーン2:177)



なぜクルアーンは、最後の日を信じることを 強調するのか?



クルアーンは最後の日を信じること を強調し、事あるごとにそれを思い起 させます。またそれが起こることを、 アラビア語の様々な表現法を用いて強 調し、その信仰を多くの箇所において アッラーﷻの信仰と結び付けていま す。

その理由は、最後の日を信じること が、アッラーﷻとその正義を信じるこ との必然的結果だからです。それはつ まり、こういうことです:

アッラーは不正をお認めにはなりま せん。また不正者を罰さず、不正を受 けた者を公正さで処すこともなく放っ ておかれることもありませんし、善行者を褒美や報いもなしに放っておかれ ることもありません。アッラーは権利 を有する全ての者に、その権利を授け られるのです。私たちはこの世の生活 で不正者として生き、不正者として死 にながら、罰を受けない者を目にしま す。また、不正を受けながら生き、不 正を受けながら死に、その権利を手に することがない者も見ます。アッラー は不正を許されないというのに、これ はどういう意味なのでしょうか? そ れは、私たちの生きているこの人生以 外の、別の人生がなければならないこ とを意味しています。善行者がそこに おいて報われ、悪行者が罰されるとい う、権利を有する全ての者が自分の権 利を手にすることの出来る、別の「約 束の地」が必要なのです。

イスラームは私たち に、他人への善行によ って、地獄から逃れる よう勧めています。た とえそれが、デーツ半 個分の施しであったと しても、です。



最後の日を信じることには、何が含まれるの か?



最後の日についてのムスリムの信仰に は、多くの事柄が含まれます。その例 を、以下に挙げてみましょう:

1

復活と召集を信じること:それ は死人を墓から生き返し、魂を その肉体へと戻すことです。 こうして人々は全世界の主に向 かって立ち上がり、召集されま す。そして彼らは、自分たちが 最初に創造されたように、裸足 で衣服も纏わない姿で、1つの場 所に集合します。

復活を信じることは、クルアーンとス ンナ、そして理性と人間の正しい天性 が証明しています。私たちはアッラー が墓から人々を復活させられ、魂がそ の肉体に戻され、人々が全世界の主に 向かって立ち上がることを、明確に信 じるのです。

アッラーは仰せられました。『それ からその後、あなた方は必ず死人と なる。そして本当にあなた方は審判の 日、蘇らされるのだ。』(クルアーン 23:15‐16)

全ての啓典は、この信仰を認めること で一致しています。そしてそれは、英 知が要求するものなのです。アッラー がこれらの被造物に、使徒たちの言葉 を通して彼らに義務づけられた全て のことについて、彼らにお報いになる 帰り場所をご用意されたことは、英知 のなせるわざです。アッラーは仰せら れました。『一体あなた方は、われら があなた方を意味もなく創り、あなた 方がわれらの御許へと戻されないとで も思っていたのか?』(クルアーン23 :115)


復活を確証するクルアーンの根拠:

  • アッラーは人間を、一度お創りにな りました。そして何かを一度創造する 者にとって、それを再び創造すること は不可能ではありません。アッラーは こう仰せられます。『そして、かれは 創造を始められ、それから再びそれを 行われるお方。』(クルアーン30:27 )また、朽ち果てた骨に生を与えるこ とを否定した者への反駁として、こう 仰せられました。『言え。“それを最 初に創られたお方が、それを生き返ら される。そしてかれは、あらゆる創造 についてご存知なのだ。”』(クルア ーン36:79)
  • 大地が緑樹1本ない、枯れ果てて死 んだ状態にあっても、そこに雨が降れ ば、美しい様々な種類の緑が生き生き と芽生え出します。そして大地が一度 死んだ後にそれを生き返すことの出来 るお方は、死人を生き返すことも可能 なのです。アッラーは仰せられました。『またわれらは、天から祝福に満 ちた雨を降らせ、それでもって農園と 収穫される種子を実らせた。また、 たわわに連なり重なる房をつけた、 高くそびえるナツメヤシの木も。それ らはしもべたちへの糧なのである。ま たわれらは、それでもって死んだ土地 を生き返した。そして(あなた方が墓 から)出てくることも、同様なのであ る。』(クルアーン50:9‐11)
  • 偉大なことが可能な者は、それより 遥かに劣ることに関しては尚のこと可 能であるということは、全ての理知的 な人間が知っていることです。アッラ ーﷻは偉大かつ広大で、驚異的な創造 である諸天と大地、星々を創られまし た。つまりかれにとっては、朽ち果て た骨を生き返すことなど、もっと簡単 に出来ることなのです。アッラーは仰 せられました。『一体、諸天と大地を 創られたお方が、彼らと同様のものを 創ることが出来ないなどということが あろうか? いや、かれは全てを創造 されるお方、全知者なのである。』( クルアーン36:81)



2

清算と秤を信じること:アッラ ーは人間を、この世の人生で 行った行為によって清算されま す。それでアッラーを崇拝する 唯一の対象とし、かれとかれの 使徒に従っていた者は、その清 算が易しいものとなります。一 方シルク(58頁を参照)と罪を 犯していた人々の清算は、厳し いものとなるのです。

 人々の行いは、偉大な秤の上に載せ られます。そして善行が片方に、悪行 がもう片方に載せられ、善行が悪行よ りも重かった人は、天国の住民となり ます。一方、悪行が善行よりも重かっ た人は、地獄の住人となるのです。そ してあなたの主は、誰にも不正を働か れたりはしません。

アッラーは仰せられました。『そし てわれらは公正な秤を、審判の日に設 ける。いかなる者も、少しの不正も受 けることはない。からし種一粒の重さ であったとしても、われらはそれを持 ち出すのだ。われらだけで清算者は十 分なのである。』(クルアーン21:47)

3

天国と地獄:天国は永遠なる安 楽の場であり、アッラーが敬虔 な信仰者、アッラーとその使徒 に従う者たちのために用意され たものです。そこには人の心が 求め、喜ぶようなあらゆる種類 の善いものからなる、あらゆる 種類の永遠の安楽があります。

アッラーはしもべたちに服従と、天 地の広さほどもある天国へ入ることを 急ぐことを促して、こう仰せられまし た。『また、あなた方の主のお赦し と、諸天と大地の広さほどもある天国 へと急ぐのだ。それは敬虔な者に用意 されている。』(クルアーン3:133)

一方、地獄は永遠の罰の場であり、 それはアッラーを否定し、その使徒に 背いた不信仰者たちのためにアッラー が用意されたものです。そこでは様々 な種類の懲罰と苦痛、人が思いつきも しないような罰が待ち受けています。

アッラーはしもべたちに対し、不信 仰者のために用意された地獄への注意 を促して、こう仰せられました。『な らばその燃料が人々と石である地獄 を、恐れるのだ。それは不信仰者たち のために用意されている。』(クルア ーン2:24)

 アッラーよ、私たちはあなたに、天 国と、そこへと近づけてくれる言葉と 行いをお願い申し上げます。そしてあ なたに、地獄と、そこへと近づける言 葉や行いからのご加護を乞います。

4

墓の中での罰と安楽:私たちは 死が真実であることを信じます。 アッラーは仰せられました。『言 え。“あなた方に委任された死の 天使が、あなた方を召すのだ。そ れからあなた方は、あなた方の主 の御許へと帰される。”』(クル アーン32:11)

これは疑念の余地なく、私たちが実際 に目にすることです。私たちはそれがい かなる原因であれ、死に、殺された人 は、自分に定められた期限を全うしたの であり、そこにはいかなる不足もないこ とを信じます。アッラーは仰せられまし た。『それで彼らの期限が到来すれば、 彼らは一時たりとも遅らせることも出来 なければ、早めることも出来ないのであ る。』(クルアーン7:34)

• また死んだ者は、その者にとって の審判の日が起こったようなものであ り、あの世へと移行します。

• 不信仰者と罪深い者たちへの墓で の罰と、信仰者と正しい人々への安 楽の確証は、アッラーの使徒ﷺから伝 わる多くの伝承の中で確認されています。ゆえに私たちはそれを信じ、それ がいかなるものかについては詮索しま せん。というのもそれは可視界のもの ではなく、天国と地獄のように不可視 の世界に属するものであり、理性には その具体的な形と真実を知る力が備わ っていないからです。そして演繹・帰 納・判断といったことに関する理性の 力は、現前にあるこの世の世界におけ る類似的事例や法則が既に知られてい るもののみに限られます。

• また墓の中の様子もまた、感覚で は捉えられない不可知の世界に属しま す。そしてもしそれが感覚で捉えられ るものだったら、不可知の世界を信じ ることの意味も、信仰義務の英知も無 くなってしまったでしょう。預言者ﷺ は、こう仰りました。「人々が埋葬を 放棄する恐れがなければ、私はアッラ ーがあなた方に、私が耳にしている墓 での罰の一部を聞かせて下さるよう、 祈ってやったのだが。」(ムスリム 2868、アン=ナサーイー2058)そして この英知が動物にとっては無意味なもの であるため、動物は墓の中の罰を耳に し、感じることが出来るのです。



最後の日を信じることの実益:


1

最後の日を信じることは、以下のようなことに大きな影響があります:人に正 しい行いを志向させ、それを規律づけ、かつ順守させること。アッラーを畏れる こと。利己主義や他人の目を気にした行いから、遠ざかること。

最後の日を信じることと、正しい行いがクルアーンの多くの場所で関連づけら れているのは、この理由によります。例えば、アッラーは仰せられました。『ア ッラーのモスクを建設するのは、アッラーと最後の日を信じる者に外ならない。 』(クルアーン9:18)また、こうも仰せられました。『そしてあの世を信じる 者たちが、それ(クルアーン)を信じるのである。そして彼らは、自分たちのサ ラー(礼拝)を順守するのだ。』(クルアーン6:92)

2

諸々の服従行為や、それによってアッラーにお近づきになるための時間の活用 といったことにおける競争をよそに、この世の物事とその享楽に勤しんでいる不 注意な者たちに、人生の真実とその短さ、そしてあの世こそが永遠の住まいであ る、ということへの注意を呼び起こすこと。

またアッラーは、クルアーンの中でその使徒たちを讃え、その行いに言及され た時、彼らをそれらの行いや徳へと促した原因ゆえに、讃えました。アッラーは こう仰せられます。『本当にわれらは、彼らを純粋さ‐(あの世の)住まいへの 想念‐でもって精練した。』(クルアーン38:46)

つまりこの意味は、それらの高徳な行いの原因は、彼らがあの世の住まいを想 念することにおいて卓越しており、その想念が彼らをそのような行いや地位へ導 いた、ということなのです。

また、あるムスリムたちがアッラーとその使徒の命令に従うことを渋った時、 アッラーはこう仰せられました。『一体あなた方は、あの世よりもこの世の生活 に満足したのか? そしてこの世の生活の楽しみなど、あの世と比べれば僅かな ものでしかないのだ。』(クルアーン9:38)

こうして人は最後の日を信じる時、こう確信するのです:この世の享楽の全て が、あの世の享楽とは比べものにならないこと。また、この世の享楽と引きかえ に地獄に入れられるのは、それがたった一度だけのことだったとしても、全く割 に合わないことだということ。そしてアッラーの道における全ての苦難は、あの 世の罰とは比べものにならないこと。また、その苦難と引きかえに天国の享楽を 味わうことが出来るのであれば、その享楽がたった一度きりのことであったとし ても、十分それに値するということ。

3

人が自分の権利を得るということにおける、安心感:この世の生活の楽しみが 1つなくなったところで、彼は失望することもなければ、悲しんで自殺すること もありません。むしろ彼は努力し、アッラーが善行者の褒美を無駄にはされな い、ということを確信します。そして、たとえ何か取るに足らないものを不正や 詐欺によって奪われたとしても、それを本当に必要としている審判の日に、彼は それを手にすることになるのです。最も重要かつ重大な瞬間に、必ずや自分の権 利を手にすることを知っている者が、どうして落胆などするでしょうか? そし て、自分と争っている相手との間を裁くのが最良の裁決者ﷻと知っている者が、 どうして悲しんだりするでしょうか?



定命を信じること



定命を信じることの意味:



それは以下のことを、完全に信じることです:全ての善いこと、悪いことは、アッラーのご決定と定命によるということ。アッラーは、かれがお望みになることを必ず実行されるお方であり、かれﷻのお望みになること以外は起こることなく、かれﷻのご意思から免れるものは何一つないということ。また、世界中のいかなるものも、かれの定命から逃れられず、全てはかれﷻのご采配によるということ。そしてそれにも関わらず、アッラーはしもべに命令・禁止され、強制することなく、行為の選択を任せました。それどころか、行為は人の能力と意思にかかっています。アッラーは彼らの創造主であると共に、彼らの行為の創造主でもあり、お望みになる者をそのご慈悲によって導かれ、お望みの者をその英知によって迷わせられます。そしてアッラーがその行いについて尋ねられるのではなく、人間自身が自分たちの行いについて尋ねられることになるのです。


アッラーの定命を信じることは、信仰の柱の1本です。ジブリールが信仰についてアッラーの使徒ﷺに質問した時、彼はこうお答えになりました。「アッラーとその天使たち、その啓典、その使徒たち、最後の日、善いことであれ悪いことであれ、定命を信じることだ。」(ムスリム8)



定命を信じることには、何が含まれるのか?


定命を信じることには、以下の4つのことが含まれます:

  • アッラーが全体的なことも詳細も、全てのことをご存知である、と信じること。そして、かれが全ての被造物を創造する以前に、それらのことを既にご存知になっており、それらの糧/寿命/言葉/行い/全ての動作と静止/秘密にしていること/公けにすること/誰が天国の住人となり、地獄の住人となるかをご存知である、と信じること。アッラーはこう仰せられます。『かれは、かれの外に崇拝すべきもののないアッラー、不可知界も可知界もご存知のお方。』(クルアーン59:22)
  • アッラーが既にご存知になっている全てのことを、「守られた碑板」に書きとめられたということを信じること。その根拠は、次のアッラーの御言葉『地上においても、あなた方にも、われらがそれを創造する前に書に(書きとめてい)ないような、いかなる災難も起こりはしない。』(クルアーン57:22)および、預言者ﷺの次の言葉にあります。「アッラーは諸天と大地を創造される50000年前に、被造物の定命を書きとめられた。」(ムスリム2653)
  • いかなるものからも阻まれることのないアッラーのご意思と、不可能なものなどないかれの御力を信じること。全ての出来事はアッラーのご意思と御力によって起こるのであり、かれがお望みのことは起き、お望みにならなかったことは起きません。アッラーは仰せられます。『そしてアッラーがお望みにならなければ、あなた方も望むことがない。』(クルアーン81:29)
  • アッラーが全てのものを存在させられるお方であり、唯一の創造主であるということを信じること。かれ以外のものは全てかれの被造物で、かれﷻには全てのことがお出来です。アッラーはこう仰せられました。『かれは全てのものをお創りになり、それを申し分なく整えられた。』(クルアーン25:2)



人間には選択肢・力・意思がある:



定命を信じることは、しもべに行為を選択する自由意思があり、そうする力があることと矛盾しません。なぜならイスラームの教えも現実も、それが人間に属していることを証明しているからです。

イスラーム法について言えば、アッラーは自由意志に関して、こう仰せられました。『それは真実の日。ならば望む者には、その主を帰り先とさせよ。』(クルアーン78:39)

またアッラーは力について、仰せられます』アッラーは人に、その能力以上のものを課せられない。彼は自分が稼いだもので自らを益し、自分が稼いだもので自らを害するのだ)『。クルアーン2:286(この」能力「が、力のことです。

一方、現実について言えば、全ての人は自分に自由意志と力があって、それによって自分が何かを行い、放棄することを知っています。また、歩行など自分の意思で起こることと、震えや予期せぬ転倒など、自分の意思ぬきに起こることを、区別しています。ただ、しもべの自由意志と力は、アッラーのご意思と御力によって起こるのです。アッラーはこう仰せられます。『(アッラーからの訓戒は)あなた方の内、(そこにおいて)確固としてありたいと思う者へのもの。そして全世界の主であるアッラーがお望みにならなければ、あなた方も望むことがない。』(クルアーン81:29)このようにアッラーは人間に自由意志を認められ、その後にそれが、ご自身ﷻのご意思に内包されていることを強調されています。というのも世界は全てアッラーの所有であり、かれﷻの所有下にあるものは全て、かれﷻの知識とご意思によるものだからです。

『本当にわれらは、感謝する者であろうと、恩知らずな者であろうと、彼(人間)を(それぞれの)道へと導いた。』(クルアーン76:3)




定命を言い訳にすること:



人の力と選択にこそ、信仰義務・命令・禁止といったものが関連しています。善行者は導きの道を選ぶことでご褒美を得ますし、悪行者は迷いの道を選ぶことで罰されるのです。

アッラーは、私たちが背負い切れないようなものを、私たちに課されたりはしません。そしていかなる者であっても定命を言い訳に、かれの崇拝を放棄したりすることをお許しにはならないのです。

また人は、罪を犯す前、アッラーがご存知になっていることと、かれの定命を知っているわけではありません。アッラーは人に力と選択肢をお授けになり、善と悪の道を明らかにされました。その後に至って罪を犯すのであれば、彼はその罪を選び、アッラーへの服従よりも反抗を選んだことになります。そして、その罪の罰を負うことになるのです。

誰かがあなたの権利を侵し、あなたのお金を奪い、被害を与えた後に、それが「定命によって既に決まっていたこと」を言い訳にしたとしましょう。あなたはそのような下らない言い訳や結果を受け入れず、彼から自分の権利を取り戻すはずです。なぜなら彼は、自分の選択と意思によってそうしたからなのです。


定命を信じることの実益:


アッラーのご決定と定命を信じることは、人間の生活において大きな利益をもたらします。その一部を、以下に挙げてみましょう:

1

定命は、人生においてアッラーのお喜びを得ることへの行い・活力・努力へと促す、最大の原動力の1つです。

信仰者は何かを達成するにあたり、アッラーに全てを委ねつつ、その達成要因を満たすことを求められています。そして達成要因を信じることだけでは、‐アッラーのお許しがない限り‐いかなる結果ももたらしません。というのもアッラーこそはその要因を創られたお方であり、かれこそがその結果をお創りになったからです。

預言者ﷺはこう仰いました。「あなたを益することに懸命になり、アッラーにご援助を乞うのであり、挫けてはならない。そして何か起きた時には、“もしこのようにしていれば、あのようになったのに”などと言わず、こう言うのだ。“これはアッラーの定命。かれは、かれがお望みになったことをされた。”というのも “たら・れば”は、シャイターン(悪魔)の行いへとつながるからである。」(ムスリム2664)

2

人が、自分のちっぽけさを知り、驕り高ぶったりしなくなること。なぜなら人は自分に定められていることも知らず、未来の出来事へと向かっていくからです。こうして人は自分の無力さと、自分が常に主を必要としていることを認めるのです。

人というものは、善いことがあれば驕り、自惚れ、悪いことや災難があれば動転し、悲しむものです。そして定命を信じ、起きたことが既に定められていたことであり、アッラーがご存知になっていたということを信じる以外には、善いことが起きた時の驕りと放埓さ、悪いことが起きた時の悲しみから人間を守ってくれるものは、ないのです。

3

嫉妬の悪を退治すること。信仰者は他人を、アッラーがその恩寵によって彼らに与えられたものゆえに、嫉妬したりはしません。なぜならアッラーこそが彼らに糧を授けられ、それを定められたお方だからです。そして信仰者は、他人を嫉妬することが、アッラーの定命とご決定に反対することであることを知っているのです。

4

定命を信じることは、厳しい状況に対した時、心に勇敢さを植え付け、決意の念を強固にします。なぜならその心は、寿命や糧が既に定められており、人は自分に定められたことしか手にすることが出来ない、ということを確信しているからです。

5

定命を信じることは、信仰者の心に様々な信仰的事実を植え付けます。彼は物事の達成要因を満たすと共に、常にアッラーにご援助を乞い、アッラーに依拠し、かれに全てを委ねるのです。そしていつも自分の主がかけがえのない存在であることを感じ、信仰の確立のために、かれのご助力を乞うのです。

6

定命を信じることは、心に安心感をもたらします。信仰者は、既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことは、そもそも起こるはずがなかったことを知っているからです。